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2026/7/6

【死への先駆的覚悟性】みんなで創ろうライナーノーツ完成!【アルバム全体】

▪️アルバム全体

 

 

◆拝聴しました。私自身、「死」とは何か、をかれこれ10年近く考えているのですが、一向に分かりません。むしろ謎が謎を呼ぶが如く霧がかかってしまうばかりです。
しかし今回のこのアルバムにより断片的にはですが、「死」とは何かを悟ることができたのではないか、と小さな喜びに満たされております。
「死」を常に意識することで「生」を感じ取ることができる。
普段「死」とは現代社会から最も遠い位置に存在し、なおかつ常に隣り合わせにある矛盾した「生」の集合体であるのにそれを無視し、まるで無限に「今」を生きれるかのように振る舞っていた、一時期の私が恥ずかしくてたまらないものだったのであると認識させてくれました。
このアルバムからは一曲一曲の感想というより、全てが緻密に折り重なって、まるで一つの生命体かのように、人生という壮大な船路の波を演奏してくれています。
「死」あってこその「生」、「死」を想ってこその「生」。
この両者を切り離すことなく、一刻の「今」という刹那をも手放すことなく、心臓が止まるまで這いずり回る。
その覚悟を持つには今アルバムは十分過ぎるほどの完成度を誇る名盤となりました。

 

◆遅かれ早かれいつかは訪れる『死』に対し、目を逸らすことなく、ただそこにある『生と死』を体現しているアルバムと感じた。

 

◆アルバム全体から、人間も宇宙の大きな流れの一部なんだなと感じさせられました。
人間が作り出したもの、事、はこんなにも周りや自分達をも破壊する異物が多いのに、
人間を素粒子レベルに分解すれば、しっかりと自然の中に循環する美しい存在である、というように解釈させていただきました。
人間の核に目を向ければこんなに美しいのに、なんでこんなに人間社会は醜いのだろうと考えさせられました。
知的探究心を非常にくすぐられる内容だなと思い、私自身、量子力学や、宇宙の本を読み始めています。
沢山のきっかけを与えてくれる素晴らしい音楽を有難うございます!

 

◆ここまで生と死を丁寧に、贅沢に、音楽へ落とし込んでいるバンドは他にあるのだろうか。
そして遠藤仁平は人を殺したり殺されたりしたことがあるのだろうか。
…と思ってしまう程の、美しく狂気的な歌と、
すべて緻密にこだわり抜かれた音とアートワーク。
出会って11年半、まだまだ衰えないどころか進化し続けていて、ある種の恐怖すら感じる一枚だと思いました。
後世に聴き継がれるべき名盤を産んでくださり、ありがとうございます。

 

◆生けるニーチェ的自伝曲
最初からフルスロットル
絶望の深淵からの
生命欲の開花
美しいと感じた
同じ時代に生きている事
感謝しか無い
美しく残酷なこの世界で

 

◆このアルバムは、人が生を受けた喜び(ポジティブな感情)から死を迎えるまでの恐怖(ネガティブな感情)の全ての瞬間を切り取ったような、壮大なスケールの作品だと感じた。曲のタイトルで印象的なのは、生都Dystopiaと死都Utopiaで、このアルバムの核ではないだろうか。
生都Dystopiaは、生きているけど暗黒の社会。
死都Utopiaは、死後の世界に存在する理想郷。
この対比が強烈で、生都Dystopiaはグロい歌詞で物々しく歌われている一方、死都Utopiaは「なんで綺麗なんだ」という歌詞もあり、死を幻想的で神秘的で、誰にも訪れるUtopiaとして描いている。
なるほど、死への先駆的覚悟性とは、死を恐れず、受け入れ、たとえ生都がどんな魔境であっても、死ぬまでの時間を後悔なく生き続けることなのか。アルバムとしての完成度は過去トップクラスかと思う。
COCK ROACHのアルバムは5元素で構成されるとのことだが、このアルバムは「風・空気」といったところか。2曲目の「零と弌」という曲の歌詞に、「地水火空風を超えて」、「たなびけり」、「空気」、「真空」など、風・空気を連想させるフレーズが並ぶ。空気は生命に欠かせない最後の元素。よってアルバムのテーマは必然的に生と死になる。最後に一言。「なんて、きれいなんだ。」

 

◆全曲クライマックス感があるというか集大成だなと感じます。

 

◆タイトルは死への覚悟を示しているが、アルバム全体の内容としては、死は特別なものではなく、日常の中にただ存在するものとして描かれているような印象を受けた。生も死も、その自然の美しさの一部なのだと感じた。

 

◆この世に遺してくれてありがとう。

最後の一音が鳴り終わった後、「とんでもないものに出逢ってしまった」と、しばらく動くことができませんでした。
大事件です。
あぁ、これは時代を超えて語り継がれなくてはならない、怪物みたいな得体の知れない代物であり、
あろうことかワタクシは、そんな超大作が生まれた瞬間に立ち会えてしまったというわけなのです。
これは、大事件。

音楽を聴いているというより、一曲ごとの個性と密度があまりにも濃く、深く、凄まじいがゆえにひとつひとつの世界の中を駆け抜けていくようでした。

14曲すべて聴き終えた頃には身も心もボロボロに抉られて削られて、それでももっとこの世界に触れていたくて、まんまと何度も何度も聴き返していたのでした。

これまで私は、寺社仏閣や巨大建造物、芸術作品などと向き合うたびに、
「人間とはなぜここまでのものを創れてしまうのだろう」と感動してまいりました。
それらには必ず創り手の意志や祈り、時代や思想が刻まれていて、
人間が命を削って遺した魂の痕跡に触れることができたように感じていたからです。

しかし今作を聴いた時、
初めて、"音楽"という目には見えない世界の中で、そこに匹敵する、はたまたそれ以上かもしれない衝撃を受けました。
「うわぁ、人間ってこんなものまで創れてしまうのか」
足のつま先から生まれた震えが、またたく間に全身へ広がっていったのでした。

信じられないぐらい人智を超えた表現の数々に、みなさまの存在がとっても恐ろしくなったのでした。
14曲どの曲の、どの瞬間を切り取ってもあまりに鮮烈で、脳がくらくらしたのでした。

その中で「サカナと嘴」は私にとってひときわ強烈で、初めて聴いた時から今日に至るまで、今なお心が揺さぶられているのであります。
じわりじわりと業火を掻き立てていくようなギターの音に、炎の情景が浮かびました。
我が子を抱いたまま焼死した母親。焦げ落ちた絵画に描かれた、無力な神の目。
あまりにも凄惨な光景であるはずなのに、そこには不思議なほどの美しさが共存していて、言葉を失いました。

生と死。
祈りと絶望。
静寂と狂気。
すべてが幾重にも折り重なり音となって叫んでいる。
こんなにまで深く「生と死」を美しく、生々しく表現できることに、畏敬の念を抱きました。

『死への先駆的覚悟性』は、
もはや音楽作品という枠を超え、命の痕跡そのものなのだと感じました。

COCK ROACHのみんなへ
『死への先駆的覚悟性』
命をかけて、
この作品をこの世に遺してくれてありがとう。

出逢ってくれて、ありがとう。
またね。

 

◆死生観が色濃く表れた歌詞と、情感に満ちた歌声。

ストレートにメタル的な要素を押し出す「神は僕を愛さない」からのスタートに驚きましたが、先行でMV公開されていた儀式的な「零と弌」への自然な繋がりに、アルバム序盤ですでに鳥肌。

音圧としての重さではなく、表現そのものから伝わる重さに心惹かれるため、覚えやすいメロディやクラシカルな弦楽アレンジなどがあっても、減る事の無い音の濃さ。

「死海の祭灯」で感じられる軽みは、彼岸と此岸の境目で躍るかのようで、音と音の隙間に情景が浮かびます。
また、昏い曲があってこそ、「鎮魂歌」のような安らぎを以って寄り添う曲も胸に染みます。

 

◆徹底的に刻み込まれる”死”が浮彫りにする”生”の美しさ

どの曲も最後は突然終わっている。
それは命がいつ途切れるか分からない、人はいつ死ぬかわからないという現実とリンクしているように思われる。
04と14の対比、02と08の共通人物などが興味深い。

<私の死生観・宇宙論>
人は死んだら肉体は滅びるが、意識は宇宙に拡散し統合意識(集合知)に組み込まれると考えています。
脳内の微小管では量子的な挙動が示されており、意識は量子的なものであることが示唆されています。
イツァク・ベントフは、「宇宙=意識の巨大な振動システム」であり、個人意識はその一部として“周波数的に接続”しているという説を提唱しました。
私は意識は量子的なものであるため、波であり粒子であるという考えです。
そして、個人の意識は固有の周波数を持っており、高次元にある集合知に統合されます。
集合知に統合された状態でも、生前関係が深かった人の意識は、比較的近くに存在することが出来るのではないでしょうか。
アカシックレコードと集合知は同一の存在です。
集合知は自らをさらに深く知るため、制限のある肉体に意識を入れて個別の経験を網羅的に探索し、死後その情報をまた統合し学習を深めるのではないでしょうか。

01〜03:死の予兆と拒絶(個の死)

04〜08:死の構造化(都市・戦争・量子・社会)

09〜11:死の儀式化(芸能・祭祀・変容)

12〜14:死の受容と宇宙的回帰(他者の死/自分の死)

 

◆動脈を切り裂いたときに勢いよく鮮血が噴き出すように、1曲目から溢れ出る音のエネルギーが、耳から、口から、体中の細胞の隙間から否応なく一気に入り込み、溺れぬように、食われぬように、どうにか呼吸を保つだけで精一杯だ。

「死への先駆的覚悟性」

そう名付けられたアルバムで鳴らされる音たちはまるで雷鳴か疾風か地響きか。
そんなものは神々だけに許された遊興ではないのか?
音楽を聴いているというよりも、圧倒的な自然現象を前にして足がすくむような感覚だ。
そうかこれが死を覚悟した人間たちだけに宿る声かと思うと怖ろしくて鳥肌がたつ。
受け止めるこちら側も、とてつもない覚悟を持たなければ易易と殺されてしまいそうだ。
渦巻く音たちは万物を切り裂く風の刃となり、聴くものに襲いかかる。

だが一方で。
一陣の風が北の国に生きるものの熱を奪い命を脅かしたのち、その同じ風は南の国で小さな花を柔らかく撫でる。
そんなことがこの地球のあちこちで起こっているように、このアルバムの楽曲たちもまた、優しいのである。
多くの生き物が愛するものを守るために牙を剥く。
優しさと殺気はひとつの者の中に同居する。
そして、優しさはいつだって哀しみを内包している。
ちょうど、死が生を内包しているように。

曲が進むごとに少しずつ音の表情は変わっていく。
雷鳴轟く劇雨がその力を緩め、甘雨へと変化し、そして海へ流れていくように。
1曲1曲と進むごとに考える。
例えば一輪の花の花びらを1枚ずつ摘み取っていくように、自分の罪や嘘を剥がしていくことが死に向かっていくことだとしたら。
最後に残るものは優しさであってほしい。
そんなことを願うこと自体また罪であるだろうか。
死に対してすら欲求を背負わせてしまうなんて、人間の本性とはどこまで哀しいものか。

「死海の祭灯」あたりからの後半の楽曲群は特に、優しさ、哀しさ、切なさが際立っていく。
そうだ、哀しく切ないのだ。何が?死が?
きっと、生きることが。
死を予見して生きることしか許されなかった個体群。人間の、その宿命。
そう考える私を慰撫するかのように、はたまた嘲笑うかのように、音たちが踊る。
死と生の間を行ったり来たりしながら。
強く、柔らかく、しなやかに。
それはあまりに、美しい音たちだ。

あらゆる種類の最期の瞬間が脳裏に浮かぶ。
五臓六腑を剥き出しにして見世物小屋に吊るされニヤリと笑うか、愛する者の手から捧げられた花を静かに抱き眠るか。
いずれにしても、あぁ生きねばならない、今はまだ。
ひたすらに死を考えながらこのアルバムを最後まで聴いたとき、思ったことはそれだった。

そうだ、死を纏い踊り狂っているように思えた楽曲たちは、生きろ。とだけ囁いていたのだ、ずっと。
COCK ROACHの音楽が一貫して私たちに伝え続けてくれている、それは哀しく切ない、そしてあたたかく強い祈りだ。
生きろ。
彼らが鳴らし続けてきてくれた生命の祝福。それを今しっかりと抱きしめる。
生きねば。

さぁ死を覚悟する覚悟はあるか?
生き抜け。そして命尽きるまで踊るのだ。
この音たちと共に。

 

◆死への先駆的覚悟性、これにてCOCK ROACHの作り上げてきたエレメントが揃い1つの世界が完成=終わりを迎えると言う事で非常な覚悟を決めてアルバムを聴いた。

私は8年ほど前にCOCK ROACHに出会い今までCOCK ROACH、無限マイナス、博士と蟋蟀と、仁平さんと本田さんの携わる作品全て影響を受けて、文字通り救われてきた。
COCK ROACHが復活して、Motherという大作を夜に放ち、そしてその全てを総括するような、広げた世界に蓋をする様な「死への先駆的覚悟性」。
これはエレメント、調べた所五大で言う「空」なのだろうか?平田澱さんのジャケットアートの原画を見に行った。えも言われぬ青く透明な巨大バケモノが宇宙を掌握する様な、またその全てが人体に収まるようでミクロ・マクロのループが渦巻いていた。

 

◆鏡合わせの、『生』と『死』──

大通りに咲く『生の謳歌』を抜けて、路地裏へと踏み込めば、そこに艶かしく佇む『鮮やかな死と生の歌』
電解水の如く、五臓六腑に染み渡る

耳に心に、心地よい作品でした

 

◆死は悪なのか。

人は死を恐れる。

時間は過ぎ去り、若さは失われ、命には終わりが来る。

だから死は、私たちから可能性を奪うものとして捉えられている。

しかし、本当にそうなのだろうか。

もし命に限りがなかったら、私たちの日々はどうなるだろうか。

時間は尽きず、若さは失われず、命に終わりが来ることはない。

「いつか」は永遠に先送りできる。

いつ訪れるとも分からない「いつか」だけが置き去りのまま。

だから人は、限りある時間の制約があるからこそ、本当に大切なものを選び取ることができるのではないか。

そして、有限な存在であることを引き受けて初めて、人は真の意味で世界を理解できるのではないか。

死を見つめた先にあったのは、死ではなく、生そのものだったということを、『死への先駆的覚悟性』は示唆していると思えてならない。

つまり、この作品は単に死を見つめた作品ではない。

溢れ出るほどの、生への渇望を詰め込んだ作品なのである。

 

◆これまで以上に死と正面から向き合いながら、生への意志を強く描いた作品だと感じた。
死が現実味を帯びたからこそ、生への執着や、生きたいという意志がこれまで以上に強く浮かび上がっているように思う。
私にとって『死への先駆的覚悟性』は、死を否定しない優しさを抱きながら、それでも生きることを選ぶ覚悟を描いた作品である。

それが自分の解釈だ。

 

◆何年経ってしまったのだろう? 『ユリイカ』を回し聴いたSちゃん、 Mの順にしんだ。何年も、十何年も前に。なあ、COCK ROACHのあたらしいアルバムが出た、遠藤仁平、おれたちの神さまが病気らしい、新作はハードで、もはやかんたんに誰かに貸すことができない音楽だ。うつくしく、さびしい、おれはもうべつに生きていたくないのかもしれない、でも、なあ、Sちゃん、M、COCK ROACHのあたらしいアルバムが出た。おれはいま渋谷のライブハウスの壁に寄りかかって、ストロボのあいだにこれを書いている。おれは、つかれて、生きていないんだろうか? 脚が折れているのかも、夢ばかり見て。あたらしいアルバムはハードで、もはやかんたんに誰かに貸すようなことはできない音楽だと思う。おれたちだけ、ひとりひとりで、イヤホンのボリュームをいっぱいまであげて、どうしてこんなにさびしいんだろう。歪みと叫びでやけに静かだ。

渋谷音楽堂のライブ、心に留め、できればいつまでも忘れずにいたいと思います。ありがとうございました。

 

◆COCK ROACHに出会ったのは、2009年。
中学2年の時だった。
「食人欲求者の謝肉祭〜カニバリズム・ン・カーニバル〜」のライブ映像をYoutubeで観たのが最初。

従兄弟の影響で海外のパンクバンドやメロディックハードコアを好んで聴いていた当時の僕には、かなり衝撃的なサウンドであり、また、衝撃的なライブ映像だった。
すぐに同曲が収録されたCDを買うべく、ネットで探したけれど『赤き生命欲』は既に廃盤かつ値段も当時からプレ値状態。
当時中2の僕は断腸の思いで、オークションで約1万円で落札。
自分と同じ茨城県出身のバンドという事にも勝手に親近感を感じ、購入後は狂ったようにこのアルバムばかり繰り返し聴いていました。

程なくして、僕もバンドを組む事になり、今も尚バンドを続けています。
現在僕が組んでいるTWISTENDはハードコアバンドだけど、COCK ROACHからの影響をかなり受けているし、音源等を聴いた人からも”COCK ROACHとか好きでしょ”と高確率で言われる。
それくらいCOCK ROACHは自分の音楽DNAに深く刻まれている存在。

さて、前置きは長くなりましたが、
今回の『死への先駆的覚悟性』は、COCK ROACHの作品の中でリアルタイムで聴いた2作目。

前作の『Mother』より、20分ほど収録時間が長いボリューミーな内容で、
前半は様々な音楽をCOCK ROACHらしさで調理したやや挑戦的、実験的な曲群が並び、
「神は僕を愛さない」や「犠牲の血」などのメタルを捕食した曲が斬新だ。

後半は「鴉葬」や、博士と蟋蟀の「Monochrome Butterfly」などの再録曲も収録され、往年のCOCK ROACH節を最大限に発揮させながらも、無限マイナスや、博士と蟋蟀のサウンドをも飲み込んだような曲群が並ぶ。

そんな今作で僕の1番のお気に入り曲は、
「量子力学ネオン街素粒子竜宮城」。
これぞCOCK ROACH、というようなオープニングから始まり、終始纏う怪しげな雰囲気のまま、目まぐるしく転調していく様は天晴れ。
その上ラストには、たまの「らんちう」を彷彿とさせる良い意味で胡散臭い口調の”語り”があり、今までのCOCK ROACHにも、ポエトリーを主体としていた博士と蟋蟀にもなかった切り口で、”死”をテーマにした今作に、曲タイトルよろしくな、怪しげで艶やかなネオン調の色を添えている。

このアルバムが届いてからというもの、
まるで中学2年生のあの頃のように、このアルバムばかり繰り返し聴いてしまっている。
そんな、魔力と中毒性がこのアルバムには帯びていて、聴くもの全ての”死”の概念を根底から覆し、既成概念である無色の”死”のイメージを極彩色に色付ける作品だ。

蛇足ですが、前述した僕のバンド、TWISTENDも現在結成12年目にして初のアルバムを鋭意製作中であり、遅くとも来年2027年には発表できる予定です。
『赤き生命欲』のジャケットに例えると、COCK ROACHが産んだ卵から孵化した子供ような、
そんなアルバムを作る所存ですので、完成した暁には是非皆さん1度聴いて頂けたら幸いです。

 

◆大地、森、太陽、海、宇宙…あらゆる属性のエネルギーを内包した本作品に大きな力を貰い、咀嚼しきれぬほどに感化され続けています。
人間として生まれ、「生きたい」と「死にたい」を繰り返しながら過ごす日々に、心が追いつかないことも沢山あります。それでも、強い死臭と漲る生命力の共存するこの作品が手元にあると思うと、この先の人生も心強い限りです。COCK ROACHメンバーを初めとするこの作品に携わったすべての皆様に感謝申し上げます。